山行報告 2022(令和4)年.11月分

【兵庫県】笠形山(播磨富士)

2024年4月28日(日)

コースリーダー:GM  参加者:4人  

 

兵庫県神崎郡神河町、多可郡多可町の境にある笠形山の別称。標高939メートル。播磨富士と呼ばれる笠形山に初登頂。

大鳥居 笠形神社、笠形山 ほうらい岩 仙人滝の周回コースを歩きました。

天気は快晴、新緑のなか気持ち良く歩くことができました。初めての笠形山は良い山でした。

笠形神社の鳥居をくぐり参道を歩き始める。笠形神社の素敵な佇まいは立派である。かなり広い、歴史のある神社 でも管理が行き届いていて綺麗に保存されてる、御神木が樹齢850年そのあたり神秘的な空気が漂っている。笠ノ丸から頂上までの鬼階段はなかなか厳しい登りでしたが無事に登頂。

 笠形山は展望が素晴らしくどこからでも山々の連なりが見える、360°パノラマは最高。

ミツバツツジやアカヤシオなどの花が迎えてくれました。仙人滝あたりで少し迷いましたが無事に下山。

帰りはせせらぎの湯でほっこりさせていただきました。充実した山行となりました。

 

コース:上新庄駅→(約2時間)→大鳥居ー(25分)ー休み堂ー(30分)ー笠形神社ー(40分)ー笠ノ丸ー(20分)ー笠形山(939m)ー(20分)ー笠ノ丸ー(30分)ー蓬菜岩ー(30分)ー仙人滝ー(60分)ー瀬加バス停跡ー(15分)ー大鳥居

関西百名山、近畿百名山、ふるさと兵庫50山、仙人滝:落差35m

笠形山は姫路市の北北東約30kmにあって、市川の支流越知(おち)川の左岸にそびえる。昔から人々の信仰の的としてあがめられ、山麓に立派な神社や古刹がある。別名を播州富士ともいい、笠をのせたような頂は播州路のシンボルとして、人々に愛されてきた。

一等三角点の頂上からの眺めは雄大で、播州方面は言うに及ばず、兵庫県下の山ならすべて指呼できるほどの展望である。県内随一の展望といえよう。

周辺には落差70mの遍妙(へんみよう)ノ滝や100mにおよぶ大滝もある。


【滋賀県】峰山 東山~海津大崎の桜

2024年4月7日(日)

コースリーダー:吉川  参加者:3人

桜の見頃のせいかJR湖西線新快速は混んでいる。永原駅(標高87m)に9時35分到着の新快速で集合し、まずは町歩き。地蔵磨崖仏を見たあと黒山集落で東光院の石仏群を見学する。集落を抜けお馬さんのいる横を通りフェンスを通り抜けると林道となる。後ろからも同じルートの団体さんが歩いている。歩きやすい林道を行くと登山道から外れるので藪を抜けて登山道に入る。万路越(428m)まではずっと登りだ。尾根筋に出ると道がわかりにくい。踏み跡もあまりなく倒木で道も荒れている。結局何度か道を外れては戻る破目になったが、登山アプリがなければ今回ばかりはゴールするのが難しかった。小ピークで食事後、峰山(531m)を超え展望台(557m)からは竹生島が正面に見えた。東山北峯(570m)、東山(594m)に到達し最後は下り下り下る。急なうえに落ち葉で滑る滑る。なんとか大崎寺まで下る。ここからは琵琶湖の湖岸沿いに満開の桜並木と琵琶湖の絶景や義経の隠れ岩を見て湖岸園地を通りながら歩く。ここは琵琶湖にせり出した岩礁地帯で琵琶湖八景の一つ「暁霧・海津大崎の岩礁」でもある。最後に前田利家公が振り返ったという満開の清水(しょうず)の桜を見てJRマキノ駅(86m)から16時47分発新快速に乗った。

お疲れ山でした。

 

・黒山集落

琵琶湖最北端に面する集落で、江戸時代にはびわ湖独特の帆船「丸子船」の基地として、大津湊に引けをとらない港町として繁栄しました。

・東光院の石仏や石塔群は賎ヶ丘合戦の折、柴田勝家輩下の武士たちの家族が菩提を弔って、お墓の代わりに石仏を奉ったと言われています。

安土の血天井(阿弥陀堂)

天正10年6月2日払晚,明智光秀が主君織田信長を京都本能寺に 殺害した後、信長の居城安土城を攻めた。その際に城を守っていた 蒲生賢秀は変を知るや信長の夫人、幼児らを奉じて日野城に難を避 けたが、襲撃の目的が達せられなかった光秀はせめて金銀なりとも 奪って家臣に与えようとしたため、攻撃は惨を極め、城に居留って いた信長の家臣は皆奮戦ののち切腹して果ててしまった。

天正晩年、豊臣秀吉が、このとき戦死した人々の菩提を弔うため その忠血で彩られた城栈をもって大崎観音堂の修繕に充て、大に法 要を営んだ。これが安土の血天井と呼ばれ、昭和41年の観音堂改修 に際し本阿弥陀堂に移されたものであるが今も梅雨期には、血痕が 港み出し、その痕跡が現われると云われている。(案内板より)

義経の隠れ岩

文治3年(1187年)義経主従が大津より北陸に都落ちする時、海津着船の際、敵に知られないようにしばらく隠れていたと伝えられる岩です。

謡曲「安宅」の中でも謡われています。

・海津大崎の桜は「日本のさくら名所100選」にも選ばれている。樹齢80年を優に超える老桜から次世代へ引き継ぐ若木まで約800本の華麗なソメイヨシノがびわ湖岸約4kmにわたり続きます。当時滋賀県修路作業員として大崎への県道の補修にあたっていた宗戸清七さん(当時37歳・百瀬村(現マキノ町)在住・故人)が、つらい作業の合間に自費で購入したソメイヨシノの若木を植えたことです。愛着のある湖岸の道に何かを残したいと黙々と植樹を続ける宗戸さんをやがて村の青年団が手伝うようになり、徐々に桜並木は伸びました。

・清水の桜

水上勉氏作の小説「櫻守」の中で、桜の移植や世話に一生を尽くした主人公の弥吉が死後その桜の下に葬ってほしいと遺言した、いわれのあるエドヒガンザクラです。樹齢300年を超え、高さ16メートル、幹回り6.4メートルの堂々たる巨桜は、江戸時代加賀藩主が上洛の際何度も振り返ってその美しさを愛でたことから「見返りの桜」の別名があり、滋賀県指定の自然記念物にもなっています。


 

【滋賀県】 霊仙山

2024年3月31日(日)  コースリーダー:GM  参加者:2人

大阪市内を7:10に出発。

名神高速の多賀スマートインターの出口を見落とし彦根インターから河内風穴前経由して落合集落(廃村)に到着。すでに駐車場は満杯。無事に駐車スペース発見しそこから歩いて今畑登山口より9:15分に出発。

伊吹山から霊仙山にかけての一帯は近江カルストと呼ばれ,その昔,海の真ん中(赤道付近)の珊瑚礁だった地域で,ユーラシア大陸の方に移動・隆起して,日本という島ができたようです(伊吹山では貝の化石が採取できます)。

そのため,霊仙山の頂上付近には秋吉台のような地形が拡がっており,山のふもとには,「いざめの清水(霊仙山の伏流水)」や「河内風穴(鍾乳洞)」が出来ています。

いきなり急騰が続くがマイペースで近江展望台まで歩く。少しどんよりとした天気だが景色は素晴らしい。

いつ来ても広大に広がったカルスト地形特有のカレンフェルトが素晴らしい景色です。

途中福寿草の群生が見られました。

福寿草は石灰岩の散在する陽当たりの良い岩影のあちこちに群生していました。

理由は不明ですが,福寿草は石灰岩地域に好んで自生するようです。一輪だけ岩陰に凛とした姿を見せて咲いていたり群生もあり。

霊仙最高点1094m、霊仙山頂上1083m、経塚山1040mを経由して汗ふき峠まで周遊コースを歩く。

また季節を変えて霊仙山に訪れようと心に決めて山行を終了することができました

大きな山と素晴らしい景色という感じで、歩きごたえを感じました。花あり、岩あり、稜線歩きあり、渡渉ありと色々と体験のできるコースです。

 

・霊仙(りょうぜん)山は、滋賀県の犬上郡多賀町と米原市にまたがる鈴鹿山脈の最北に位置する標高1,094 mの山。山の東山腹は岐阜県大垣市上石津町と不破郡関ケ原町に属する。北側には伊吹山が対峙している。『花の百名山』として花の多い山であることが知られている。

明治以前には「霊山」と呼ばれていて、祖先の霊が籠る山である。

山体は石灰岩からなり、なだらかな山の上部にはカレンフェルトやドリーネなどのカルスト地形が見られ、「近江カルスト」の一角をなしている。山頂部には窪みが多数あり、「お虎ヶ池」はドリーネにたまった池とみられている。南西の山麓には河内風穴の鍾乳洞がある。多賀町の北東部に位置している山頂からは近江盆地と琵琶湖が一望できる。

スキー場などの大規模開発がほとんど行われていないため、豊かな自然が残っている。比較的登りやすいなだらかな山であり、登山道も整備されているため、登山初心者を始め登山客に人気が高い。頂上では360度のパノラマが広がり、琵琶湖や伊吹山はもちろん、白山や伊勢湾、時にはアルプスの山々までも見渡すことができます。山頂部にあるお虎ヶ池には霊仙神社がある。冬には、日本海側の若狭湾方面からの季節風の影響を受け雪雲が流れ込み易く、山頂部は1 mを越える積雪となることが多い。

 霊仙山の名からわかりますように、周囲の山や峰には、経塚山や阿弥陀岳などがあり、周辺の山麗には宗教的な雰囲気がただよっています。

カレンフェルト(〈ドイツ〉Karrenfeld)

石灰岩の節理や断層に沿って溶食が進んで溝が刻まれ、岩柱が林立している地形。 墓石地形。

 ドリーネ(ドイツ語: Doline,)

石灰岩・ドロマイト地域で地下に空洞が発達し表層が崩落して生じる陥没孔である。

 

今回は今畑コースを登ります。

廃村となった今畑から宗金寺、笹峠、近江展望台、南霊山を経て最高点の至る西南尾根に沿うコース。近江展望台からは琵琶湖などの展望が良い。

 

◆フクジュソウ

初春に花を咲かせ、春を告げる代表的な花のひとつです。夏まで光合成をおこない、夏になると地上部が枯れ、それから春まで地下で過ごす典型的なスプリグ・エフェメラルです。花の大きさは3~4cm ほどで、花弁は金属光沢のある鮮やかな黄色をしています。

花言葉は「永久の幸福」「思い出」「幸福を招く」「祝福」など。初春に花を咲かせるため「元日草(がんじつそう)」や「朔日草(ついたちそう)」といった別名を持ちます。福寿草という和名もまた新春を祝う意味があります。

 ・スプリング・エフェメラル(Spring ephemeral)は、春先に花をつけ、夏まで葉をつけると、あとは地下で過ごす一連の草花の総称。春植物ともいう。直訳すると「春のはかないもの」「春の短い命」というような意味で、「春の妖精」とも呼ばれる。

 

注意事項等 

フクジュソウは全草(茎・葉・花・根)に毒があり、特に根・茎には強い毒があります。地面から芽を出したばかりの頃はフキノトウと間違えやすく、死亡例も報告されています。

フクジュソウは決して口にしないでください。 


 

【滋賀県】鶏冠山・竜王山

2024年3月3日(日) 

CL:Yosm  参加者4名

草津駅から帝産バスで上桐生に出て、そこから湖南アルプスの北谷林道を行きアスファルトが切れると北峰縦走路に入る。山道は斜度を増し、やっと頂上へ着いたかと思うと、また上に続く急勾配が出る。その繰り返しで、11時に鶏冠山着。南行きの下りはより急勾配となって慎重に進む。天気は良いが風が強いので、登り返して少し進んだ岩陰で早めの昼食を採った。大岩が林立するこの山の景観はいつ見ても素晴らしいが、高みへ出ると琵琶湖の南湖も一望できる。天狗岩を楽しみ、耳岩を経て白石峰でひと休み。ここから竜王山を往復して2座を制覇。下山路は狛坂線を辿り、CL最大のお気に入り狛坂摩崖仏に出る。奈良時代末の作といわれるこの大石仏は白洲正子も激賞した傑作であるが、酸性雨の影響か近頃損傷が著しい。所々悪い苔がこの石仏を蝕み、木の根が岩のすき間を侵食している。所有者たる財務省はこの大摩崖仏の価値を理解せず、何の保護もせずに放置し雨曝しの状態が続いている。このままでは後世にこの宝を遺せないと思うと、本当に心が痛い。帰路は南谷林道を経て上桐生に着き、予定通り16:00のバスに乗れた。足が揃って、順調快適な山行であった。


 

【大阪府】ポンポン山(678m)

2024年2月18日(日)

コースリーダー:吉川  参加者:6人

JR高槻駅から高槻市バス10時07分発に乗り出灰(いずりは)バス停下車(10時40分すぎ)して出灰川沿いの道を上っていく。集落の中に素盞鳴神社があり社頭の桂は樹高30m樹齢300年の御神木である。ここでストレッチとコース説明を行う。集落を抜けていくと光明寺に出灰不動尊が祀ってあった。さらに行くと川の向岸に奥の院があり清廉な空気が感じられ滝行に適した滝があるパワースポットであった。

川沿いの道に戻りしばらく行った登山口から少し上ったところには一休ゆかりの尸陀寺(しだじ)跡がある。実際に一休が住んだのはここより200m上方とのことだが道がなかった。登山道に戻り登っていく。そこそこの急登から尾根道に出てお昼を過ぎたので手前の山で食事タイムとなった。食事後ポンポン山山頂に到達。少し雨がパラついたがそれ以上崩れることはなかった。下山ルートは善峯寺へ直行と釈迦岳経由の周回ルートがあるが、釈迦岳も行きたいとの声もあり周回ルートとした。

釈迦岳で少し休んだあと下山ルートに取り付く。この時期はバスが善峯寺の手前の小塩までしか来ないので下山後道路を下るが、約1名以外はバスを乗り過ごしてしまう。やむなくさらに下のニュータウンまで歩いてバスにて桂駅で解散となった。

お疲れ山でした。

乗る予定の阪急電車特急のすぐあとに来た特別列車の京とれいん雅洛(淡路まで止まらず)に乗るという貴重な体験ができた。

 

・ポンポン山(加茂勢山)

頂上に近づくにつれて足音がポンポンとひびくことから通称ポンポン山と呼ばれています。

山頂付近では必ずしもポンポンという音ではないが、一部では確かに地中に空洞のあるような音がする場所がある。その原因については、山頂近くの石灰岩の切り出し場所が影響している、地下に鍾乳洞があり音が響いている、あるいは山の地層の一部に空洞があるのでは、など諸説ある。(ウィキ)

 

上古よりのパワースポット 出灰渓谷

出灰(いずりは)は、摂津・山城・丹波の三国境界の起点にあたる磁場の強いゼロ地点です。我が国では、神代の頃から、三国境界点は方位の影響を受けない強運の聖地として信仰されてきました。出灰も上古よりの「パワースポット」で、朝廷に献上した良質な石灰を産出したことから「いずりは」と呼ばれるようになったと伝わっています。今でもこの渓谷は、京都府と大阪府の府界で、本堂は大阪府高槻市出灰小字東羅に位置します。八つの滝を擁する出灰不動谷は、役小角(えんのおづぬ)役行者(えんのぎょうじゃ 634伝~706伝)が、日本で初めてとなる毘沙門天を安置したという加茂背山(ポンポン山)の北斜面に位置し、古来、山岳信仰の行場として不動明王がお祀りされてきました。京に都が遷った後も江戸期に至るまで、この一帯は都の西方を護る西山最深部として信仰を集めた土地でした。とんち話で有名な一休宗純(いっきゅうそうじゅん)<1394~1481年>が、戦乱の喧騒に明け暮れる都への厭世観から、尸陀林(しだりん-釈尊在世時のインド中部にあった聖地)に重ね合わせて移り住んだ土地としても知られていますが、当時は現在の想像をはるかに超える過酷で厳しい山中でした。過酷さゆえ、前世紀には不動之滝への道も閉ざされてしまいましたが、平成元年、この道を再び切り拓き、真言宗の修行場として再興したのが現在の出灰不動尊です。(光明寺HPより)

https://www.koumyouji.jp/


 

【奈良県】三峰山(みうねやま、霧氷)

2024年2月4日(日)  

参加者:3人 コースリーダー:吉川 天気:曇り、一時霧  

近鉄鶴橋駅午前6時37分発急行五十鈴川行きに乗り近鉄榛原駅南口バス停から7時45分発霧氷バス(往復3200円)で みつえ青少年旅行村へ。

乗客はいっぱいでバスは何台か出るようだが、我々はなんとか 第一便のバスに乗車できた。みつえ青少年旅行村(標高584m)でストレッチをし9時前にスタート。道路を少し戻って林道に入る。昨日から降った雪は上がっているが道も山も雪を被ってきれいだ。分岐登山口を直進して川沿い(名張川の源流か)を上っていく。林道から外れ登山道に入り登って行くと程なく不動堂がありそのすぐ先が不動滝だ。凍ってはいないが落差もある立派な滝で参籠所もある。雪はだんだん深くなるが登山靴で行けるところまで行く。さすがに斜面が急になり滑り出したのでようやくアイゼンを装着する。11時少し前に避難小屋に着き早めの食事とする。11時20分頃歩き出し分岐を過ぎて三峰峠を越すと霧氷林のトンネルと白銀の世界が出現した。三峰山頂(1235m)に11時45分到着し記念撮影する。たくさんの登山者がいた。そこから八丁平を周回し下山を始める。三畝峠を超えて下り分岐を左にとり、往路とは違うコースに入る。展望台付きの避難小屋で少しやすんでからさらに下る。みつえ青少年旅行村には14時少し前に到着し、とん汁やぜんざい、こんにゃく等いただき14時30分発のバスで姫石(ひめし)の湯に寄り(800円、100円割引あり、オリジナルタオル付)、ゆっくり汗を流して榛原駅には17時前に着いた。

お疲れ山でした。



              【奈良県】 竜 王 山

2024年1月8日(月・祝)

CL:Yosm   参加者:6名

近鉄桜井駅で参加者全員の顔が揃い、JRまほろば線で柳本へ。街を出て長岳寺から北ルートの山道を暫く進み、大石前のベンチで休息。参加者のお二人が買ってくれた御陵餅を頂く。柔らかくて美味。この山道には所々に石仏があり心が和む。岩盤の道を進むと辻に出てトイレ休憩。ここから舗装路となり、暫く下って龍王山城の由来が書かれた看板を左手に入る。少し進むと道が途絶えるが、何となく踏み跡らしきものがあり、迷いつつも北城跡の山上平地に出た。公園状の広場になっているが、地面は草だらけで、近時はハイカーが来ないようだ。正午前なので陽当たりの良いこの場所で昼食とした。公園出口らしき道を見つけて下ると龍王山城の石碑がある舗装路に出た。近くに行きに辿った脇道入口があり標識の必要性を感じる。舗装路を登り龍王社を経て南城跡とされる竜王山山頂に到着。北城跡よりは狭く、アスレチック風の公園になっており、西側は奈良盆地が見渡せる素晴らしい眺望が開けている。下山路は南ルートを採り、長岳寺奥の院跡に残る不動明王石仏を見た。鎌倉時代作らしいが存在感抜群の見事な出来栄えである。南ルートは周囲に多くの古墳があり、古代この地が豊かな里であったことを偲ばせる。崇神天皇陵を参拝し、周濠沿いから畑の畝道を進んで、天理トレイルセンターで休憩。ビア&コーヒータイムとなった。帰路、黒塚古墳を経て(展示館は無念の閉館日)、柳本駅16:32発の電車に乗った。


【大阪府 奈良県】 生駒山 暗峠を行く(日本の峠百選)

2023年12月30日(土)

コースリーダー:Y.T  参加者:5人

近鉄奈良線額田駅を午前10時に集合しストレッチとコース説明のあと歩き始める。駅前から住宅地に入ると徐々に坂はきつくなる。難波と奈良を結ぶ最短ルートの故に坂は急だ。しかもここは国道308号線でもあり車も通る。

芭蕉句碑、法照寺と十方法界有無両縁之霊魂抜苦與楽から豊浦橋の滝を見て不動明王石像あたりでひと休みすると果敢に急坂をアタックする自転車乗りがいた。この先の暗峠最大傾斜地は無事に通過できたであろうか。余談だが先年探偵ナイトスクープでこの峠を自転車で足を付かずに走破する依頼があったようだ。弘法の水と笠塔婆を過ぎるとついに暗峠(455m)に到達し記念撮影。本日の最高地点でここから下りとなる。

西畑の棚田を眺めながら自然卵を買い阿弥陀と役行者の磨崖仏を見て本日のランチ「 森のレストラン ラッキーガーデン」に到着する。広場にベンチとテーブルが点在して山羊さんもいる。カレーは本国の方が作る本格派でお洒落な店だ。それほど寒くもなく外のエリアで食事がいただけた。

食事と休憩後大福寺に寄り、石仏寺からまた暗越奈良街道を通り南生駒駅まで歩いた。

お疲れさまでした。

 

・暗越奈良街道(日本の道百選)

大阪から奈良へ通じる旧街道として、4~500年前に開けた街道です。

大阪高麗橋を起点として西から東へと通じ、暗越と呼ばれるように、生駒山系の暗峠を越えて奈良に行く最短コースの街道だったころから、この名称の由来があります。この奈良街道が開けていないその昔は、大阪から奈良へは日本最古の国道である竹内街道が唯一のもので、奈良街道よりはるかに長いコースでした。

 

シルクロードの終わるところ 堺屋太一

 暗越奈良街道は、大阪と奈良を結ぶ最も近い道だ。

 それだけに、古来、様々な人と物とがここを通った。古くは、天平時代、大仏開眼に招かれたインド僧が(736年)、次いで中国の鑑真和上が(753年)、ここを通って奈良の都に入った。正倉院に残る宝物の中にも、この道を運ばれたものが多かったことだろう。この道は、シルクロードの東の端なのだ。

 戦国時代には、大和郡山城主となった豊臣秀長が何度も往来したことだろう。百年余を経た元禄7年(1694年)、松尾芭蕉がここを大阪へと歩いていた。そして、それから十年後(1704年)、大和川の付替えで、沿道の景観は一変した。多くの川や沼が消え、豊かな綿畑に代わったのだ。

  翌年(1705年)伊勢参りが爆発的に流行した折には、一日7万人がこの道を伊勢に向かっていた。この道は、伊勢街道のはじまりでもあった。

 

・十方法界有無両縁之霊魂抜苦與楽

神武天皇が大和を制圧する為に生駒山入りその時、待ち伏せにあい豪族と戦。多くの戦死者を祀ったのがそもそもとか 


【兵庫県】 香住蟹とジオパーク、加藤文太郎の軌跡

2023年12月23日(土)~24日(日)

コースリーダー:Y.T 参加5人

23日午前9時に新大阪駅を出発。プリウス号は春日ICから八鹿氷ノ山ICを通り予定通り約3時間で浜坂に到着する。駅前の観光案内所の方のおすすめの海鮮の店「みさきや」さんでおいしく食事後加藤文太郎の墓に向かう。

広大な浜坂墓地の中にあるが雪が深く近寄れなかった。

観音山を目指すのに浜坂温泉保養荘(浜坂白馬公園)からのルートは雪で困難なため相應峰寺の奥から登るルートにする。

雪は2,30cmの深さはあるが、新雪でありアイゼンは使わない。やがて山門をくぐりその先に鐘楼と本堂がある。相應峰寺本堂圓通殿というようだ。観音山山頂はその奥すぐ近くのようだが雪が深く閉鎖されていて周回できないので、ここから来た道を引き返す。無事に相應峰寺の駐車場に戻り蟹と温泉の宿英祥さんへ。

いつも食べ切れないので今回は少し少なめのコースにして蟹と海鮮を堪能した。

翌日は朝食後チェックアウト。靴と車がきれいになっている。

2日目は城山トンネル横の登り口から歩き始める。積雪はやはり20,30cmか。人の踏み跡は無いが動物の足跡がそこここにある。はっきりわかるのはウサギ、その他は偶蹄類のようだ。

城山園地の東屋で休憩して芦屋城跡まで登る。このあたりが頂上で海に向けて眺めがいい。来た道を戻り車で中華浜龍でランチをいただいたあと諸寄を散策する。ここは北前船の寄港地として栄え、画伯谷角日沙春や藤田威(号は白濤、映画「名もなく貧しく美しく」のモデル)の生誕地である。

新温泉町立加藤文太郎記念図書館では加藤文太郎の展示を見せていただき、あじわら小径をとおり、浜坂先人記念館 以命亭を見て、眺めの良い岬の古民家喫茶岡見で飲み物をいただく。帰りに七釜温泉ゆ〜らく館で汗を流して帰路についた。

お疲れ山でした。

 

加藤文太郎(ぶんだろう)

浜坂出身、1905年(明治38年)3月11日 - 1936年(昭和11年)1月5日

複数の同行者が協力し、パーティーを作って登るのが常識とされる山岳界の常識を覆し、単独行によって数々の登攀記録を残した。登山に対する精神と劇的な生涯から、小説(新田次郎著『孤高の人』、谷甲州著『単独行者 アラインゲンガー 新・加藤文太郎伝』)やドラマのモデルとなった。

1925年(大正14年)六甲全山縦走を行い、それ以来、神戸から生家に帰る際には全行程100キロ以上を何度も徒歩で帰ったという。

地味な手作りの服装で、かつ地下足袋を履いて山に登っていた。当時、単独行はタブー視されていたため、加藤は「単独行の加藤」「地下足袋の加藤」と呼ばれる異色の存在だった。

1928年(昭和3年)頃から専ら単独行で日本アルプスの数々の峰に積雪期の単独登頂を果たし、なかでも槍ヶ岳冬季単独登頂や、富山県から長野県への北アルプスの単独での縦走によって「単独登擧の加藤」「不死身の加藤」として一躍有名となる。

1936年(昭和11年)1月、数年来のパートナーであった吉田富久と共に槍ヶ岳北鎌尾根に挑むが、猛吹雪に遭い天上沢で31歳の生涯を閉じる。当時の新聞は彼の死を「国宝的山の猛者、槍ヶ岳で遭難」と報じた。

 

香住 味ん宿 英祥

〒669-6564 兵庫県美方郡香美町香住区下浜651


【大阪府】箕面最高峰 明ヶ田尾山(619.5m)

2023年12月17日(日) 

天気:晴れ 参加者:5人 コースリーダー:濱野

9:50北千里駅発のバスにて北摂霊園十区に到着。その後25分歩いて高山高札場跡、高山右近生誕の地、そして登山口から歩いて45分、明ケ田尾山山頂へ、11:45到着。記念撮影の後、下山。高山城跡に向かう。城跡で5人寒い中、昼食をとりました。昨日とは違ってとても寒く、チラチラ雪が降っていました。その後、高山マリアの墓、そして右近の郷直売所では、買い物と休憩、地場産のごぼうの購入とコーヒー休憩30分のあと、近くの高山バス停より朝の集合場所の北千里駅に、バスで向かう。帰りのバスでは、途中、すぐ先で、事故が発生したため、阪急バスは迂回して、遠回りして、駅に到着し、大幅に帰りの時間が遅くなりましたが、何事もなく無事にバスは到着しました。そして北千里駅に到着。

皆様お疲れさまでした。全てにおいて、楽しい山行になりました。

ありがとうございました。


【京都府 滋賀県】京街道 第5回(完結編) 伏見宿〜大津宿

2023年12月3日(日)

参加者4人 コースリーダー:吉川

京阪本線中書島駅前でコース説明とストレッチを行い9時すぎに出発。

駅前通りの新地湯あたりは昔遊廓があったあたりで、ここを通り抜けて長建寺をお参りして境内の閼伽水(あかすい、湧き水)をいただく。伏見の名の通り伏流水が豊富で日本酒の仕込み水としても使われる。湧き水は年間を通して水温が一定のため温かい。橋を渡り竜馬とお竜の寺田屋へ。まだ開館されてなかったが、ご厚意で庭を見学させていただく。そこから商店街を歩くとおいしそうな老舗のパン屋さんが(ササキパン本店)がある。聞けば大正の創業で100年以上の歴史があるとか。

さらに進んで橋をいくつか渡ると地名は墨染になり近藤勇遭難の地に着く。幕末の志士伊東甲子太郎の仇を討つべく御陵衛士らが近藤を待ち伏せて深手を負わせたところ。

ここから道は東に折れて深草になる。

小野小町のところへ通った深草少将はここの欣浄寺のあたりに住まいがあった。

またこの道は大和街道とも一部重なる。

京阪本線墨染駅の線路を超えると藤森神社てある。本殿をお参りして境内の不二の水をいただき宝物殿を見せていただく。刀剣女子がおられたので聞くと「鶴丸国永」という有名な刀がありゲーム刀剣乱舞に出てくるという。これらの刀を見に神奈川県から来たということでご苦労さまです。JR藤森駅の手前で刀剣女子と別れ我々は左に曲がる。七瀬川のあたりは以前歩いた京都トレイルのルートと少し重なる。やがて道は名神高速道路沿いの道路となり延々と歩きやっと勧修寺(かじゅうじ)に着く。大きな敷地のお寺で見どころは庭園と書院、樹齢750年を超えるハイビャクシンと水戸光圀寄進の雪見灯籠だ。

拝観後に勧修寺で聞いた近くの一休寿司さんで食事してお腹を満たして随心院へ。

門前では手作りフェアとコンサートをやっている。ここは小野氏の本拠地といわれて小野小町も住んでおり深草の少将はここまで通っていたのだ。

中に入ると小町ゆかりの品や見事な庭園の紅葉と本尊の如意輪観音と阿弥陀如来坐像、金剛薩埵坐像の三体の重文が鎮座していた。

ここからまたしばらく歩いて追分に向かう。大宅一里塚跡を超え北上して新幹線ガードと国道1号線をくぐる。ところどころに古い道標と蓮如上人の石碑や牛尾山道の道標がある。牛尾観音への参詣道のようだ。機会があれば行ってみたい。

髭茶屋追分は東海道53次の終着三条大橋を目指す京道と我々が通っている京街道(伏見道)の分岐で、徳川幕府は西国大名が京都に入らないように伏見道を整備した。

ここが県境で道の右手が京都府、左が滋賀県であった。このあたりから地図が無くなり対向して来た方に道を聞くと、この人もなんと神奈川県から来られて街道を歩いているという。

道はなだらかな上りとなり右に橋本関雪の月心寺があり外側から見せていただく。

国道1号を歩道橋で渡り蝉丸神社でお参りして鰻屋の前を通り上り切ると逢坂関跡で京街道での最高地点だ。ここからは下りとなり関蝉丸神社上社と明治のトンネル旧逢坂山隧道東口跡地を見て、関蝉丸神社下社では鎌倉時代の重文である時雨灯籠があった。ここはもう大津の市街地で程なく札の辻でゴールした。

その後駅までの道すがら露国皇太子遭難之地を見に行った。

これで5日に分けて催行した大阪高麗橋から始まった京街道も無事に終わることができた。最後は長丁場であったが頑張った皆さまはお疲れさまでした。

時間がなく大津の見どころはほとんど見れなかったのでまた改めて探訪してみたい。

 

・京街道

大阪市中央区から大津市京町へとつづきます。

 起源は奈良時代より存在する古道で、それを大坂と伏見に城を築いた豊臣秀吉が文禄5年(1596年)2つの城を最短距離で結ぶため、淀川沿いに毛利一族に命じて文禄堤を整備。この堤の道が京街道となりました。 

東海道は五十三次と言われますが、京街道の四宿を加えて東海道五十七次と呼ぶこともあり、伏見より江戸方は大津街道を経て京都を通らないルートとなる。大津街道は、東海道の大津宿から伏見宿に至る。このルートは参勤交代の経路としても用いられ、西国大名を上洛させない狙いもあった。

 

・勧修寺(かじゅうじ)

真言宗山階派の大本山、本尊は千手観音、開基は醍醐天皇、皇室と藤原氏にゆかりの深い門跡寺院。

樹齢750年といわれるハイビャクシンが植えられており、その中に徳川光圀寄進と伝えられている灯籠があり勧修寺型灯籠として知られる。書院は重要文化財。

 

・随心院

真言宗善通寺派の大本山、本尊は如意輪観世音菩薩(重要文化財)、開山は小野流の開祖として知られる仁海僧正。ここの小野地区は小野氏の根拠地とされ、小野小町ゆかりの寺としても知られ、深草少将の百夜通い(ももよがよい)でも知られる。

小野小町に熱心に求愛する深草少将。小町は彼の愛を鬱陶しく思っていたため、自分の事をあきらめさせようと「私のもとへ百夜通ったなら、あなたの意のままになろう」と彼に告げる。それを真に受けた少将はそれから小町の邸宅へ毎晩通うが、思いを遂げられないまま最後の雪の夜に息絶えた。

 

・月心寺

橋本関雪が、江戸中期に建てられた茶屋を買い取り、別邸とし ました。橋本氏亡き後、月心寺と号しました。境内には池泉回遊 式の石庭が作られ、平安時代から 和歌に詠まれた名水「走井」が湧き 出しています。鎌倉時代の小野小 町百歲像や、松尾芭蕉の句碑など もあります。この名水で作られた走 井餅は東海道の名物でした。(拝観は10名以上にて要予約 のため中には入れず)

 

・蝉丸神社

3社あり、逢坂一丁目の国道1号沿いに上社、国道161号沿いに下社(関蝉丸神社)、大谷町に分社(蝉丸神社)が立っています。

 蝉丸は平安時代の琵琶の名手で、今昔物語や謡曲「蝉丸」によると、目が不自由であったにもかかわらず、音曲の神として崇められました。彼が詠んだ「これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関」という和歌はあまりにも有名です。

関蝉丸神社の入口に「せきのしみず」という石標があり、拝殿の横には時雨灯籠(しぐれとうろう)と呼ばれる六角形の石灯籠(重要文化財)があって、風情に満ちています。また、本殿裏の細い山道の入ロに、絶世の美女といわれた小野小町塚があります。

 

・大津

7世紀に近江に遷都した天地天皇が 水上交通の要衝として重視し、明治になって 鉄道に移り変わるまで栄えた。

びわ湖浜大津駅は初代の鉄道大津駅であり大津城の天守があったあたりだと言われている。大津城はわずか15年で廃城になった城だが関ヶ原の戦いの前哨戦「大津城の戦い」があった。東軍の大津城側は 西軍の軍勢を長く足止めしたことで 関ヶ原の趨勢を左右したとされる。

関ヶ原の戦い後、徳川家康は大津を幕府の直轄地とし、軍事拠点としてのこの城は膳所に移し大津を経済物流の拠点としたことで「大津百町」と呼ばれるほど 町は繁栄した。

 

・大津事件

1891(明治24)年にはロシア帝国皇太子(後のニコライ二世)を警備の巡査である津田三蔵が切りつけた暗殺未遂事件が起こる。事件後すぐ東京の明治天皇は京都のニコライのホテル、さらには神戸港のロシア軍艦に赴き見舞いと謝罪を行った。政府や民衆はロシアの報復を恐れ、本来外国皇族には適用されない大逆罪による死刑を津田に求めたが、司法は大逆罪を適用せず、無期懲役となった。

事件の1週間後がニコライ23歳の誕生日であった。

津田がサーベルで斬りかかったことでニコライは右耳上部を負傷した。切り傷そのものはそれほど深くなかったものの、重いサーベルによる斬撃を受けたため頭蓋骨に裂傷が入った(脳には届かなかった)。これ以降ニコライは終生、傷の後遺症と頭痛に苦しむようになった。どこの国にも狂人はいると言って津田と他の日本人全般を区別する発言をしていたニコライだったが、この事件に遭遇して以降、彼は日本人に嫌悪感を持つようになり、ことあるごとに日本人を「猿」と呼ぶようになる。

1894(明治27)年26歳でロシア皇帝に即位することとなったニコライ2世は、ロシア近代化の難しい時代の舵取りを担った。

日清戦争(1894-5年明治27-28年)後には日本に三国干渉をかけ、遼東半島を清に返還させた。これにより日露関係は急速に悪化した。

東アジアの利権をめぐりニコライは強硬派となり1904(明治37)年日露戦争が勃発した。

莫大な日露戦争の戦費や、敗北に次ぐ敗北で戦役に苦しんだ民衆を抑圧した「血の日曜日事件」や「戦艦ポチョムキンの反乱」「怪僧ラスプーチン」により民衆の支持も得られなくなっていった。

そして第一次大戦(1914-1918年大正3-7年)による弱体化で、ロシア革命が起こり300年続いたロマノフ王朝は崩壊した。1918(大正7)年10月革命によりニコライとその1家ととりまき11人は処刑された。享年50歳。

大津事件が日露戦争のひいてはロシア革命の遠因と考える人もいる。この事件が無ければ歴史は変わっていたかもしれない。(Wikipediaなどより)


 【奈良県】日本最大の都 藤原京と大和三山を歩く

 

2023年11月5日(日)

コースリーダー:畠井 吉川  参加者:3人  

近鉄南大阪線 橿原神宮駅に9時05分集合しまず橿原神宮を参拝する。神武天皇陵から畝傍山(199m)に登りまず1座目である。下山して奈良県立橿原考古学研究所附属博物館で開催中の古事記編纂者太安萬侶を見た。王将で食事後本薬師寺跡で東塔西塔の礎石を確認する。天香具山(152m)に登り2座目。藤原宮跡ー耳成山(140m)で3座目となった。下山して伊勢街道を通り古い町並みを見学して大和八木駅に着いて軽打ち上げ後解散となった。

 

・大和三山は奈良盆地南部、飛鳥周辺(橿原市)にそびえる3体の山々の総称。歴史的風土特別保存地区、国の名勝。また世界遺産の暫定リスト「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」の1つ。

万葉集では「香具山は 畝火をしと 耳成と 相あらそひき 神代より かくにあるらし 古昔も 然にあれこそ うつせみも 嬬をあらそふらしき」(中大兄皇子、巻1-13)と歌われている。大和三山(の神)が神代に恋争いをしたという歌である。この歌は、中大兄皇子と弟の大海人皇子の額田王をめぐっての恋争いを大和三山に託したものという説もある。

・藤原宮は橿原市と明日香村にかかる地域にあった飛鳥時代の都城。壬申の乱により即位した天武天皇の計画により持統天皇4年(690年)日本史上で初めて条坊制を用いて作られた。平城京に遷都されるまで日本の首都とされた。

規模は5.3km(10里)四方、少なくとも25k㎡はあり、平安京(23k㎡)や平城京(24k㎡)をしのぎ古代最大の都である。

大極殿(基壇は東西約52m、南北約27m)などの建物は礎石建築がなされ、中国風に日本の宮殿建築でははじめて瓦を葺いた建築がなされていた。

また、この都で華咲いたのがおおらかな白鳳文化であった。白鳳文化は天皇や貴族中心の文化でもあった。


【長野県 山梨県】八ヶ岳

 

2023年11月2日(木)〜11月4日(土) 参加者:3人 コースリーダー:G、Y.T

 

6時に出発したプリウス号は名神高速から中央高速に入り10時半ころ諏訪インターを出る。

近くのレストランで食事後、稲子温泉の先の本沢温泉駐車場にクルマを停める。

そこから4WD用林道を通ってなだらかな道を進んで行く。季節はずれの陽気で暖かい。3時40分ころ本沢温泉(2,100m)に到着する。

荷物をおいて10分ほど先の最高標高の野天風呂に水着で入る。白い硫黄泉は熱めである。宿に戻り内湯に浸かるが、ここの泉質は赤黒い鉄分の湯であった。

5時30分から夕食が始まりビールと地酒もいただいて早めに就寝。夜中は星がきれいであった。

内湯は24時間、湧き水は豊富で、トイレは簡易水洗の洋式、部屋は新館個室で山小屋としては快適であった。(1泊2食13,000円+弁当1,000円)

翌日朝も5時30分から食事、朝風呂でゆっくりして7時出発。宿の裏手から登山道に入るが登りにつぐ登りに手こずった。最後の急登を登り切ると分岐に着いた。

一気に見晴らしがさえて右手に天狗岳、左手に根石岳が見渡せる。

ザックを置き空荷でまずは天狗岳にとりつく。ザレ場からガレ場になり岩山の先が東天狗岳(2,640m)。そこで折り返し今度は反対側の根石岳(2,603m)に登頂した。分岐まで戻り下り道の途中の南向きの暖かい斜面で食事を取った。そこから急坂を下りにつぐ下り降りて本沢温泉に到着し、置いていた荷物をピックアップした。下山道は長いなだらかな下り道であるが、木の根に足を取られて転倒者が出た。クルマに戻りザックを降ろして近くの八峰の湯で汗を流した。

この日は北杜市大泉町の知人宅にお世話になる。雑木林の中の別荘風の建物で2ベッドルームのうちの1つをお借りした。

リビングには暖炉があり薪が赤々と燃えてとても暖かい。

夕食は近くのとんかつ二葉さんで美味しくいただいた。戻ってからもワインやおつまみで歓待を受けた。

翌日はゆっくり朝食を取ったあと清里の清泉寮にクルマで向かう。元々はアメリカ人牧師で親日家のポール・ラッシュ博士が開拓した宿泊・研修施設で標高は1,400m。丘の上からは富士山をはじめたくさんの山が見えて圧巻の景色であった。またここの名物のジャージー牛のソフトクリームは味が濃くて美味しかった。

そこから野辺山高原のJR最高地点を通り国立天文台 野辺山宇宙電波観測所を見学する。直径45mのパラボラ型望遠鏡に圧倒されるが、1982年から稼働していまだに現役である。

昼食は長野県原村に移動し香草庵さんで蕎麦をいただく。人が多くかなり待ったがメンバーの先輩が経営されていて海老天をごちそうになった。蕎麦も鴨汁も美味しかった。

ここでお世話になったS山夫妻と分かれて諏訪南インターから高速に乗り帰路についた。

日本シリーズの第6戦をラジオで聞きながら7時半ころ無事に大阪に帰還した。

お疲れ山でした。


2023年10月29日(日) 【大阪府】岩湧山

天気:晴れのち曇り

参加者:2人

CL:Oz

 

ススキを楽しむ山登り、岩湧山へ。2、3日前テレビで放映されていた。そのせいか南海河内長野駅はハイカーでいっぱい。反対に金剛山行きのバスはいつもより空いてる。岩湧山行きは長蛇の列。CLと参加者は集合時間より早く着き参加者を待ったが他には誰も来なかった。バスに乗車し一路滝畑ダムへ。下車すると少し雲が出てきた。登山口の御手洗いも長蛇の列。登山道もなかなかのハイカー達。途中立ち休憩を挟み遂にススキの群生地。やっぱりいつ来てもいいなぁ。最後の登りはたいへんだけども眼下には大阪市街、六甲山、遠くは明石海峡大橋や淡路島まで展望良くススキはゆらゆら、もう言うことなし。早いお昼ごはんを食べ食後のコーヒータイム(おやつ付き)もゆっくり取って下山。計画では紀見駅に下山予定だったが相談し天見駅に変更した。先週に続き季節を感じる山登りええなぁ。


 

【徳島県】 剣山(太郎笈)〜次郎笈

2023年10月21日(土)〜22日(日)

コースリーダー:井手野下、吉川  参加者:7人

歩行時間:21日 約2時間10分(1時間20分) 22日 3時間45分(3時間5分) ()内リフト利用

 

10月21日(土)午前7時に阪急上新庄駅を5人を乗せ出発したセレナ号は阪神高速から淡路海峡大橋→淡路島→大鳴門橋を通り美馬ICからは下道。通り沿いの貞光の旧道はうだつの町並みだ。国道438号を川沿いに上ると道は細くなりすれ違いも大変になる。

集合場所のリフト乗り場のまわりはクルマでいっぱいだったが、タイミングよく中に停められた。

「霧の峰」で食事し程なく広島組の2人と合流する。

全員で劔神社を参拝し12時20分頃に歩き組はここからが登山道、リフト組2人は左右の紅葉を楽しみながら見ノ越駅に向かう(登山リフト15分1,050円)。リフト降り場の西島駅で全員合流して歩きはじめる。天気は曇りで時々ガスや晴間、ところどころ紅葉している。刀掛の松を通過すると道は二手に分かれどちらも同じところで合流する。右手の道は途中に行者道の鎖場があり少し登ってみる。左手の道はキレンゲショウマの群生地がある。

雲がひときわ厚くなったが雨が降ることはなく、一ノ森山頂(1,879m)から16時頃に一ノ森ヒュッテに到着した。宿泊手続きと会計を済ませザックを置いてしばし休憩して一ノ森山頂に夕日を見に上がる。正面右に剣山(太郎笈)、左に次郎笈がはっきりと見え、陽はやがて雲に邪魔されず太郎と治郎の間に落ちていった。

ヒュッテに戻り食事とお酒と主人のお話をいただく。話好きで小屋番だけあって知識も豊富で親切であった。部屋も2〜3人づつの個室で快適で食事もよかった。

 

 

翌日の22日(日)は日の出前から準備をしたが、ガスっており御来光は見れずじまいだった。食事後出発する頃はきれいに晴れて景色もよく、歩きだすと朝方は氷点下まで冷えたとみえ霜柱や霧氷が見られた。道は二ノ森(1,873m)から劔山本宮宝蔵石神社と剣山山頂(1,955m)へ到達すると多くの登山者がいた。ここも景色がよく、瀬戸内海小豆島まで見えるようだ。

その先を下って行った先で2人は下山ルートに向かい、他のメンバーはジロウギュウ峠で直登せずに右に巻いていく道を選択する。水場の冷水で喉を潤しやがて道は頂を目指し急登となる。登った先が次郎笈山頂(1,930m)で記念撮影後にその先で岩をベンチに食事とした。天気も眺望もよく風もなく昨日と打って変わって暖かく快適である。

帰りのルートは尾根沿いに剣山を前に見ながら下っていく。途中分岐を左手に進み御神水をいただいてから巨岩の大劔神社をお参りして西島駅でまたリフト組と分かれて下山した。

「霧の峰」で一服後荷物をまとめ2台のクルマで近くの温泉ラ・フォーレを目指すが水不足で閉館。やむなく貞光の木綿麻(ゆうま)温泉を目指すが道は狭く降りて行くクルマは多く対向車とのすれ違いでたびたび渋滞した。温泉に到着後メンバーは2日分の汗と垢を流して広島組と分かれた後、道の駅で買物して往路と同じ美馬ICから帰路に着いた。

お疲れ山でした。


【兵庫県】六甲山(地獄谷〜風吹岩)

2023年9月24日(日)

コースリーダー:五島(前半)、吉川(後半)  参加者:4人

阪急電車神戸線芦屋川駅に午前9時に集合する。

駅前には登山者が多数待ち合わせをしている。

川沿いに上り公園で準備体操とコース説明をし、さらに川沿いから閑静な住宅地を抜けて山道に入る。

高座ノ滝には茶屋がありしばし休憩しこの先の分岐を地獄谷の方に進む。登り口では団体さんがロープワークの練習をしている。我々もヘルメットとハーネスをセットし、ロープをくぐり沢沿いに遡上する。雨が無かったので水量は少ないようだが川の飛沫を浴びながら進む。最初の滝の壁で1人が無理せずに離脱。

沢沿いに登っていくとやがて砂防ダムに当たり、そこからコースは沢を離れて山道になる。

ところどころ岩登りをしながらさらに進むと懸垂岩がある。クライミングの練習をするには適したバーンのようだが、ここは通らずに横切る。

さらに行くと2〜3mほどの垂直の壁に行く手を阻まれる。ここをロープを付けずに登ろうとしたメンバーが落下したが滑落せず怪我もなく事なきを得た。これ以後はさらに慎重にロープワークを使いながら登り降りする。

スヌーピー岩、万物相と岩の上は登り切った達成感もあり、神戸港から大阪方面の景色は素晴らしく見えた。

その先は風吹岩(439m)で、ここからは通常の登山道となる。ワイヤーハーネスとヘルメットを外して少し先の横池にて昼食とする。ヒツジグサがまだ咲いていた。

食事後は風吹岩まで引き返し、帰りは魚屋道(ととやみち)を下り森稲荷神社で無事の下山を。感謝してJR甲南山手駅に出た。駅近のカフェで一服し湯あそびひろば森温泉にて汗を流した。

お疲れ山でした。

なかなか登りがいのあるコースだったが、ロープや鎖が無くところどころ苦労した。

次回はロープを設置に行ってもいいかもしれない。


特別企画 番外編【滋賀県】沢登り 明王谷

2023年9月13日(水)  参加者:3人 コースリーダー:吉川

新大阪駅を9時に出て吹田ICから京都東ICまで高速道路に乗り湖西道路に入るが、平日の割に車が多く坊村の地主神社には11時前に着く。神社で無事を祈り装備を整えて歩き出す。今までは1時間ほど歩いて上り牛コバ近くから川に入るが今回は明王院あたりから下流をゆっくり上る予定。三宝橋のたもとからは川に降りられずに左岸沿いに少し5分10分歩いたところから川に入る。酷暑の影響でこの時期にしては水温は冷たくないが水量はそこそこある。川幅も広く足と手と、どこをどう通るか頭も使いながらの動作が沢登りの醍醐味だ。

しばらく行くと直角の堰堤かありさすがにこれは登れない。ふと見ると右にロープが張ってあり、つかまりながら登りこの堰堤をクリアした。これが一ノ滝だろうか。広い河原に出たので時間も12時を過ぎており食事とする。この先は水深の深いところもあり泳いだりしながら行くと滝がある。これが二ノ滝と思われる。ここも岸に上がるロープがあり超すことができた。

さらにさらに手持ちのロープも使いながら登っていくとまた滝があった。かなり大きな滝で完全に泳がないと先に進めない。迂回を探すと今度は左にロープがあるのを見つける。しかしかなり急な斜面で危険だし体力的にも無理と判断。それに登山道と逆側なので無理はせず、もう充分に沢は堪能したので引き返すことにする。しかし結構上ってきているし、下りは負担も技術もいるのでできたら登山道に出たい。先ほどのロープと反対側の岸を探すと、メンバーが踏み跡を見つけるがかなりの急斜面で苦労しそうだ。その上には行者堂が見えたのでここが三ノ滝であることがこの時わかった。ふと見ると倒木がありその先に行くとロープが張ってあるのを発見し、何とかそれにつかまりながら行者堂に到達することができた。ここからは何度も来た道で鎖を登り、階段を上がり登山道に出た。あとは林道を下り車に戻った。

下流なので難易度が低いかと思われたが意外と難易度が高かった。足を滑らせたり手に持った木が折れたりで擦り傷打撲があったが大きな怪我はなかったのが幸いだ。

いつもの朽木天狗の湯で汗を流し着換えて帰路に着いた。


9月3日(日) 【京都府】 愛宕山

参加者:3人(うち一般参加1人)   天気:晴れ   CL:Oz

まだまだ残暑厳しい9月初旬。少しでも涼しい山へと思い愛宕山。集まったのは3人。清滝で暑いので行程は臨機応変で対応する旨断った。月輪寺への分岐に川があり涼を感じたのもつかの間。しかし木陰は少し風が通る。暑く久しぶりの山登りの人もいたので小まめに立ち休憩を入れながら『月輪寺まであと30分』『……あと15分』『……あとま5分』の表示に励ましてもらいやっとのことで月輪寺。かわいい鹿がお出迎えしてくれた。庵主さんはおしゃべり好きなようで30分ほど捕まってしまいCLとしては竜ヶ岳は無くなったなぁと思った。せめて愛宕山の三角点だけでも目指したかったがひとりが分岐で待つと言われ時間的にも少し厳しいと思いこちらも断念。ちょうどお昼なので広場で休憩。さすがにここまで来ると涼しい。下山は時間的に余裕ができたので途中の東屋で休憩を入れながらゆっくり下った。下山ごとに暑くなった。次回涼しくなったら竜ヶ岳まで行ってみようと思う。


若 山 【大阪府】

2023年8月19日(土) 参加者:2名 天候:晴 CL:Yosm

阪急水無瀬駅での参加は無く、JR島本駅でHamさんが合流して、9:50に猛暑のなかでの山行をスタートした。アプローチの舗装路歩きは暑いが、若山神社参道からは木陰の道となり、石段を上がって境内へ。サントリーの地元だけに当社本殿にはウイスキー樽が供えられる。脇から山道に入ると見事なスダジイの林が続き、ツクツクボウシの鳴き声がシャワーのように降り注いだ。この音を聞くと夏も終わりかと思わせる。暫くゴルフコース沿いの道を進み、四ツ辻を左に進むと眼下に三川合流の景勝が現われて、ここのベンチで早めの昼食を採る。先着組がいたがピラフやら何やら料理に凝っている様子で、我々が休憩を終えて席を立っても、まだ食べ始めていなかった。昼からは若山三角点を経て、木漏れ日の中の道を進み、悠久の丘へ。山の中腹にあたる墓地公園に出ると青龍三年の丘と呼ばれる天満宮山古墳がガラスシェルターに覆われて現われる。ここからは眼下に高槻安満古墳公園と淀川が一望でき、場所柄や長大な木棺溝からして弥生時代の安満村の長の墓であることが一目瞭然である。この墓に納められていた同年銘を持つ銅鏡は日本で発見された最古の年号鏡であり、他に古いタイプの三角縁神獣鏡や、ガラス小玉の装飾品や鉄刀と共に出土し、一括して重要文化財に指定された。埋葬された人物を卑弥呼の遣魏使として邪馬台国の外交ルートを担った人物と考える学説もある。山歩きでは自然に出会えるばかりではなく、偶にこのような史跡に巡り合えることも楽しみの一つである。一行は墓地公園を下り安満の住宅地に出て、JR高槻駅で14:30に解散した。

 


氷ノ山 【兵庫県・鳥取県】

 

2023年8月11日(金、山の日) 出発は8月10日(木)

参加者:4人  コースリーダー:吉川   天気:曇り時々晴

 

10日

JR新大阪駅に18時40分に集合。4人を載せたプリウス号は新御堂筋から箕面有料ー新名神とどろみIC、途中赤松PAにて食事休憩後、山崎ICで降り国道を北上して22時頃にヒュッテ白樺に到着する。入浴後アルコールで水分補給し就寝。今夏久しぶりにエアコン無しで寝れた。

 

11日

6時半より食事し7時過ぎににチェックアウトし宿で用意してもらった弁当を持ち、準備体操とコース説明して7時20分に歩き始める。このあたりは冬はスキー場でまわりにはロッジや民宿が点在する。その一番奥が「わかさ氷ノ山キャンパーズヴィレッジ」で登山口もここにある。登山届を書き8時に氷ノ越コース登山道に入る。なだらかな登り坂でところどころ熱中症予防で水分補給や休憩を入れながらゆっくり上る。歩きやすく人にやさしい道で上るにつれ景色のいい場所もあり兵庫県側から来る人にもすれ違う。坂を登り切ると9時10分に氷ノ越分岐の避難小屋に到着した。四ツ辻の角にお地蔵様が祀ってあり、左は鉢伏山、まっすぐは兵庫県側登山口、右は氷ノ山だ。ここを右に行き閉鎖してある仙谷コースの分岐に10時8分に着き、奇岩の甑岩を見て(とうろう岩はわからず)氷ノ山(須賀丿山、1,510m)には10時38分に到着した。

ここにも避難小屋があり登山者で賑わっていた。中国地方では大山の次に高く兵庫県の最高峰で視界は360度見渡せる。記念写真を撮り休憩するとこの日は風が強く体が冷えてくると寒いくらいだ。11時10分に下山を始め、程なく千年伽羅木を見学する。

12時00分に氷ノ山(三の丸、1,464m)を通過、12時04分三ノ丸避難小屋に到着しここで食事も考えたが、二人組のマウンテンサイクラーの助言で少し先の東屋まで行く。

そこは展望台になっており、風も通るし屋根付でベンチと机もあり絶好の食事処だ。宿のお弁当もとても美味しく質、量ともに満点だった。(12時12分〜12時40分)

なだらかな道を下っていくと立派なブナの林や杉の古木の群生地がありそこだけ別世界の景観を呈していた。またところどころに伽羅木も自生していた。

この日はアブやブヨがいたが、道が笹林になるととんぼが増えてアブやブヨはいなくなった。とんぼは更に増えて口を開けていると入るのではないと思うほどの数だった。下りは徐々にきつくなり歩きにくくなる。

スキー場のリフト降り場からは更に斜度がきつく長い階段で日陰もなくなり足膝に負担がかかり気温も降りるにつれて上がりしんどくなる。斜面は徐々に緩くなり階段は無くなりスキー場ゲレンデの草むらを延々と下り出発点のヒュッテに着きソフトクリームで体を冷やした。

ヒュッテ白樺さんのご好意で入浴させていただき着替えて気持ちよく帰路に着くことができた。途中の道の駅で買い物して山崎ICから池田ICまでほとんど渋滞もなく関大前駅で食事打ち上げ後解散となった。

おつかれ山でした。

ヒュッテ白樺(1泊朝食付き6,300円+翌日おにぎり弁当500円)

鳥取県八頭郡若桜町舂米631-29


七兵衛山~芦屋ロックガーデン(兵庫県) 

 

2023年7月16日(日) 天気:晴 CL:Yosm 参加者:4名

午前9時半に阪急岡本駅に集合。当日は気温湿度共に高く、兵庫県内に熱中症警戒アラートが発令されていたので、CLはゆっくり進んでこまめに休憩をとること、十分に水分補給することを心掛けた。

まず岡本駅近くの岡本南公園、「桜守」の笹部新太郎氏の邸宅跡で準備体操とコース説明を行い、住吉川沿いに進んで岡本八幡宮で行路の安全を祈願し、それから住宅街を抜けると八幡谷沿いの山道に入る。さすがに露天のアスファルト道とは違い、木陰の沢沿いでは所々で涼に出会う。家に居ててはこの快感は味わえない。暑いながらも山に来た甲斐がある。山の神を祀る広場へ出ると、倒木を利用した手作りベンチがいくつか据えられており、地元有志による山愛がとても有難く思う。当初は七兵衛山頂へは行かない予定であったが(地図で道の記載なし)、会長がヤマップでは道あるよと指摘してくれたので、急遽山頂を目指すことになった。この辺りは一帯に森林管理道がめぐっており、そこここに手作りベンチが据えられている。ハイカーの独りとして、そのご苦労に本当に頭が下がる思いがした。七兵衛山への道標を見つけ、巻き道を登って山頂へ。場所は広くないが、樹木が適度に伐採されており、神戸の街と海が見渡せる絶景の地になっている。おまけに斜面沿いに例のベンチが段々に据えられていて、この上ない休憩所になっていた。一同感謝してここでお昼ご飯を頂くことにしたが、木陰で風通しも良く、このまま昼寝したい思いに駆られた。午後は山を下り、横池に出ると睡蓮が水面を覆って、所々で白い花を咲かせ、いい趣きだ。風吹岩から芦屋ロックガーデンの下りは、岩が陽で焼けてとても熱くなって難路となったが、一同無事に高座の滝に出て、ひと休み。暫く下ると芦屋の住宅街に出、開森橋を経て、午後3時15分に芦屋川駅で解散となった。暑さの中で大量の汗を書いたが、夏ならではの爽快な山行であった。


箕面〜五月山 総会ハイク【大阪府】

 

2023年7月2日(日) 天気:曇り コースリーダー:H.Y

参加者:6人(ハイク6人、内一般参加2人)(総会6人、内総会のみ2人)

午前9時阪急電車箕面駅改札口に集合。6人で六個山に向かう。当日のお天気は曇り、とても蒸し暑い。駅前で準備体操後、会長から本日の山行の説明がある。駅前を左折し住宅街を抜け、教学の森平和台西口に到着9:20。ここからは山歩き。急な坂をいくつも上がり、フラフラしながら、ワクワク展望台へ、休憩後、最短のルートで、11:20六個山396m山頂到着。ここで記念撮影をする。15分ほどの休憩後再び歩きまはじめる。五月山緑地霊園そして、池田CCの横を通り、日の丸展望台、瓢箪山から目的地の池田都市緑化植物園に着いたのが、12:00、とても蒸し暑い山歩きではありましたが、緑が美しく、山頂からの眺めも楽しめました。植物園の会議室で1時間の昼食をとった後、会員2名が加わり13:00より総会、体操もし、14:00終了しました。皆様お疲れ様でした。


6月25日(日) 大阪府【生駒ぬかたアジサイプロムナード】

 

天気:曇り  参加者:4人  CL:Oz

やっぱりこの時期はあじさい。今年は久しぶりにぬかた園地に。いつもは近鉄電車額田駅より登るがいつもと同じじゃつまらない。今年は石切駅よりスタートして枚岡神社若しくは額田駅に戻るコースを計画した。石切駅の改札口が1つと言われて油断した。同じ電車にCL以外ふたりいた。なんと出口が2ヶ所あったのでふたりが各々の出口に。もうひとりはホームで参加者を待った。すると予想外に反対側のホームに降りたYnさん。なんとか取りこぼすことなく全員でスタートできた。石切駅よりほどなく昔の近鉄電車の駅(日下駅)に着いた。鉄子ぶ。今回はくさかコース。割りと有名なので多く登っているかと思っていたが余り人はいなかった。山道に入ると湿度が高く不快指100%。小まめに立ち休憩をし水分補給。舗装道路に出ると意外と爽やかでお散歩のワンちゃんもご機嫌。少し霞んでいたが所々展望を楽しみあじさい園地到着。たくさんの人で賑わっていた。お弁当を広げるのにちょうど良い広場があった。今年もあじさいを楽しみ下山開始。みんなで相談の結果額田駅に下山した。

 


クリーンハイク 三好山(芥川山城跡)から摂津峡【大阪府】

2023年6月4日(日) 参加者:5人 コースリーダー:白井 

JR高槻駅に9時25分集合し、マナーアップの啓発活動も行うため「クリーンハイク実施中」の腕章を各自付けて、9時35分発高槻市営バスで塚脇バス停に9時50分着。

バス停前に案内板があり、そこで準備体操とコースリーダーよりクリーンハイクの意義と注意点またコース説明があった。

バス道を渡り細い道をいくとまず服部連塚古墳があった。5世紀中頃の横穴式石室の円墳で機織り(織部)を統率した服部連の墓と伝わる。隣の唯徳寺の境内を抜けて歩くと次は塚脇F1号墳で妙力寺境内にある。ここは石室が露出しており副葬品も出ている。ここも円墳だが時代は下がって6世紀後半となる。

ここから道は上りとなり地名は黄金の里となる。ここには香川の手袋産業を築いた明治の実業家棚次辰吉氏の豪奢な別宅があり、数年前までは観音蒸風呂として営業されていた。廃業されたと聞き前を通るつもりが中に迷い込んでしまい、後親族の方に迷惑をかけた。後日訪問する予定である。

その先の新興住宅地の中に塚脇C7号墳があった。このあたりに50基ほどある古墳群の一つである。

道を少し戻り市街地を抜けて山道に入る。ここから本格的にクリーンハイクでところどころにゴミが落ちている。

登りきった平らな場所が帯仕山(おびしやま)192mの山頂だが、三角点も標識もない。液晶テレビが投棄されていたがさすがに本体は持って帰れなかった。

道は分かりにくい分岐を下って行くが倒木が行く手を塞いでいて迂回を余儀なくされた。

一旦下って上りを行くと平らな場所が現れた。

戦国時代の芥川山城の建屋があったようだ。道は細くなりなだらかに上り続けると左側に眺望の開けた場所があり山頂まではもう少しだ。草木の手入れをされてる方がおられたので「お世話さまです」と声を掛けたら行きのバスが我々と同じだったと言われて山頂奥にある笹百合が見頃ですよと教えていただいた。

お昼となったので芥川山頂(180m)の切り株のイスで食事と記念撮影して下山する。途中の分岐を右に折れ急坂を下る。山道を終えてさらに下り摂津峡に行くべく芥川を越えるはずが、、橋が無い!!撤去されていて渡れない。

水深の浅いところを教えていただいたが無理はせずに迂回路を取った。またしても唯徳寺の境内を通らせていただき温泉前で1人を残して芥川沿いを歩く。ハイキングコースだから人が多い。

予定通り八畳岩ー行者岩ー白滝をめぐりひと山(193m)越えて摂津峡公園でゴミを出し、摂津峡温泉前で解散となった。

お疲れ様でした。

ゴミ約8kg、前日の雨で濡れたシャツなどがあった。


京街道 3回目(枚方ー橋本) 【大阪府】

 

2023年5月27日(土) コースリーダー:吉川 参加者:4人

京街道の3回目は前回の到達点の枚方から歩きますが枚方までは船で向かいます。

天満橋駅すぐの八軒家浜からアクアライナーに乗船後すぐの出航となる。

大阪城が見送ってくれる中を船は造幣局、桜ノ宮と遡上して銀橋も超えていく。

今回一般参加のM氏の元家業がこの川沿いの長柄の砂屋とのことで感慨一入のようだ。

「語り部と行く淀川の歴史探訪クルーズ淀川浪漫紀行」と銘打った今回の船旅は三分の入りで、着物姿にカンカン帽の案内人柗永氏は大阪府高槻市出身で、幼少期の遊び場は淀川。淀川河川事務所や淀川資料館にも勤務し、淀川の防災や歴史、観光などに精通する語り部で淀川の魅力をご案内してくれる。

曰く、琵琶湖に注ぐ川は192本あるが流れ出るのは瀬田川(〜宇治川〜淀川)と人工水路の琵琶湖疎水だけ。

船は毛馬に至り閘門の中に入っていく。

淀川と大川の水位を調整する「毛馬閘門」は、かの有名なパナマ運河と同じ方式の水門です。外からは見たことがあるが船で通過するのは初めての体験だ。閘門に船が入ると船は斜めに向けて船首と船尾を繋留される。後方の水門が閉ざされると約15分かけて1m50cmほど水位が上がっていく。

語り部曰く、横山やっさんがモーターボートでここを通過したことがある。

繋留を解き前の水門が上がると視界が広がりいよいよ淀川だ。

ここまでは旧の淀川で今の呼び名は大川である。

閘門を抜けると目の前に淀川大堰があり左は大阪万博に向けて新たな閘門を作る工事が行われている。

船は柴島を過ぎ旧の赤川鉄橋(現おおさか東線)を超えて城北公園も過ぎていく。

語り部曰く、淀川は大水害が何度もあったがその度に無くなるものは何か? 人命である。

曰く、ワンドの成り立ちとブルーギルの放流で激減した天然記念物のイタセンパラの保護。

曰く、淀川本流の水が神戸まで運ばれて飲水になっている。

船は揺れも無く快適で滑るように進んで行く。

語り部曰く、江戸時代の三十石船は上りの際は3人から5人が綱を持って引っ張ったという。その手間もあり上りの船賃は今の貨幣価値で1万2〜3千円で一日かかったそう。下りは半日で船賃も半分だった。

お昼近くになり弁当が振る舞われた。天神橋筋商店街にお店を構える、大阪「丸万寿司」が作った、特製弁当とのこと。

あまりに快適でついビールと復刻したくらわんか酒をいただいてしまう。デザートのお餅もいただくと程なく終着の枚方船着き場に着いた。

河川敷はシロツメグサのお花畑だ。

鍵屋資料館の方が迎えに来られていて少し歩いて見学させていただいた。

ここからは京街道を歩く。M氏はリハビリ中で枚方駅から電車となるので我々一行は先を急ぐ。

明治天皇御晝餐所碑、枚方宿本陣跡、塩熊商店、高札場跡、枚方市駅を通り宗左の辻を左に折れる。東見附で天野川に突き当たるがまた街道に入る。

ところどころに街道らしい旧家が散見される。

鵲橋、延命地蔵を過ぎ幹線道路沿いを延々と歩くと御殿山駅でこのあたりは見どころはない。しばらく行くとまた細い街道になる。新今池公園を右手に見て明治橋を越えたところが牧野駅でここからは京坂電車に沿って歩く。

途中の小さな公園でひと息つきしばらくは線路沿いを歩くと、高速道路の工事をしている。淀川を越えて高槻まで新名神を作ってるようだ。

やがて右手に樟葉駅ホームが見えてきた。

駅周辺で喫茶店を探すが休みとかでなかなか無く、お好みたこ焼きの店「みのり」さんで止むを得ず?ビールをいただくことにした。

街道は線路沿いを外れ淀川河川敷を歩く。堤防と道路を越えると橋本の町並みに入る。両側に往時の廓を彷彿させる凝った作りの建物があり、そのうちの一軒が今日の宿「橋本の香」でチェックインした。

建物は古いが改装しているが、作りやステンドガラスはそのままだ。

夕食は橋本駅前のこれも古いレトロな大正時代創業の「矢尾力食堂」さんで洋食をいただいた。

 

京街道 4回目(橋本ー伏見)【京都府】

 

2023年5月28日(日) コースリーダー:吉川 参加者4人

橋本駅を9時出発、1人メンバーが変わったが今日も4人。前日に泊めていただいた橋本の香旅館の辺りを少し散策後、橋本の渡しの碑を見に。その後石清水八幡宮駅に向かう。途中石清水八幡宮常夜灯、二宮忠八飛行器工作所跡や薔薇のきれいなお家があり記念撮影。八幡宮駅手前を左折し、木津川にかかる御幸橋を、一つ渡ると淀川三川合流域「さくらであい館」に到着、建物内で休憩後、展望台に向かう。そこからは、八幡山、天王山、背割り堤が見えとても美しい風景。その後、2つ目の御幸橋を渡りきり、宇治川沿いを歩く。次に立ち寄った場所は、石垣の残る淀城跡。大きなお堀も残っていて、城跡は公園になっていた。淀駅近くで唐揚げの昼食を取り再びスタート。京都競馬場横道を歩くと、戊辰戦争戦没者慰霊碑が。宇治川をさらに進み、中書島駅に到着、無事ゴールしました。皆様お疲れ様でした。

HY記


2023年5月14日   泉南飯盛山

 

降水確率が高いため中止となりました 


          2023年5月5日(金・こどもの日) 蓬莱山

参加者:2名

天候:曇り時々晴れ

CL:Yosm

朝、堅田駅に下車した人の中にメンバーは見当たらなかったが、集合場所のバス停先頭にOzさんが待っていてくれた。久しぶりの鯖街道廻りで平集落へ着き、9:25にスタート。順調にアラキ峠まで進んで一息入れたが、ここからが急登でCLは息が上がるも後ろのOzさんは平気のようである。ピッチが落ちずに権現山まで来ると、眺望が開けた(10:40)。実にコースタイムより40分以上も早い。しんどいはずである。ここからは比良の山脈と琵琶湖を眺めながらの快適なスカイウォークである。お昼前に蓬莱山頂に着き、強風の中、びわこテラスで昼食と満開のラッパ水仙を楽しんだ。下山路ではシャクナゲもイワカガミも花を咲かせ、ミツバツツジの名残の花も見られた。樹下神社の祭礼を横目に見て15:15に志賀駅着。久しぶりの長距離で少々ハードであったが、想定したよりも1時間半早い帰着である。花と新緑、琵琶湖の絶景を楽しめた。やはり比良は雄大さが味わえて良いと思う山旅であった。

 


2023年4月16日(日) 高御位山

参加者:2人

天気:晴れ

CL:Oz

前日の雨が心配だったが当日は晴れた。JR曽根駅より神姫バスに乗り鹿島神社へ。相変わらず大きなチタン製の鳥居。この辺りは八重桜が美しく咲き出迎えてくれた。今年も参道で柏餅を購入しお宮さんにお詣り。今回はゆっくりお詣りした。そう去年は独りぼっちだったけど今年は二人道中。ボッチだとどうしても早くなるけど今回はゆっくり景色やお花を楽しみながら登れそう。神社脇より登山開始。早速ウグイスの美しい声に足を止め姿を探す。この木にいるよね、と声はすれども姿は見えず。諦めたら今度は野生の美しい藤の花。なかなか進まない。これもまた楽し。いよいよ登り。一枚岩に取りかかる。そうです。この山は岩がたくさんあり楽しいお山です。岩の途中の見晴らしの良い場所で購入したできたてホヤホヤの柏餅で一服。寄り道をたくさんし過ぎもう11時30分。まだ行程の1/3ほど。少しスピードアップするも予定しているランチ会場には遠く少し脇道に入った眺めの良い場所で昼食を摂った。ゆっくりでも必ず前に進む。遂に山頂到着。今日は余り人がいなくて岩の上でゆっくり景色を楽しみ久しぶりに当会のプレートを設置。コーヒータイムも考えたが下山した公園にしようと意見が纏まり下山開始。やはり一枚岩なので慎重に下る。下って登りの繰り返しでゴールまで先は長いがゆっくりし過ぎだったのでエスケープルートがあったので予定変更して下った。下山後は予定の公園で柏餅をいただき曽根駅へと戻る。たくさんの池を通った。大きな鯉やヌートリアのような動物が我が物顔で泳いでいたのにはビックリ。道端に小亀がいたので車に轢かれないよう救出。駅までの道もなかなか進まないのんびりまったりの山登りでした。


龍田古道と亀の瀬地すべり資料室(プロジェクターマッピング)

2023年4月2日(日)

CL:YosM 参加者:3人

近鉄生駒線勢野北口駅に午前9時10分集合し近くの平隆寺(跡)に行くが門が閉まっており入口の案内板で確認する。門前には農作業をされてる方がおられ、その昔熊野古道は亀の瀬は浅く船が通れず一旦降りてその先で小さな船に乗り替えたもんだよと、見てきたように説明いただいた。

遍照院のシダレザラは時期が過ぎており、千本桜並木道はかなりの急勾配となるしコースを外れるのでパスし、龍田古道から少し上ったところの観音寺さんに寄るとこすにする。ここも門は閉まっていたが中を覗くと快く招き入れてくださった。ここは融通念仏宗のお寺で本堂をお参りさせてもらい重要文化財の地蔵菩薩立像を見せていただいた。境内には1536年に立野城跡から移設されたという宝篋印塔(町指定文化財)があった。

そこからまた熊野古道に出て龍田大社をお参りする。まだ桜は咲き残っていた。

さらに古道を進み少し道から逸れて三室山古墳に向かう。整備はされていない山中に古墳と石窟はあった。

三室山も近いが今回は道中も長いのでその先は行かず古道に戻り関地蔵から峠八幡神社に着きここの境内を借りて食事タイムとする。

そこからしばらく歩き亀の瀬地すべり資料室に到着した。ここで昭和6年から7年にかけての地すべりのこと等を勉強させてもらった。地すべり対策工事中に旧国鉄時代の亀の瀬トンネルが偶然発見されて、その中でプロジェクターマッピングをやっている。事前の申込みは満員であったが、タイミングよくキャンセルが出て参加できることになった。

待ち時間にトンネル内部と亀の瀬龍王社をお参りした。

プロジェクターマッピングはなかなか迫力のあるよくできた内容でしかも無料であった。

資料館を後にし亀石を見ながら線路沿いを歩きJR河内堅上駅を通過する。竹原井頓宮跡地(青谷遺跡)を通り川端橋(夏目茶屋渡し跡)はなかなかスリルある吊り橋である。その先の松岳山(まつおかやま)古墳は2枚の穴の空いた石板に挟まれた珍しい石棺があった。そして大和川親水公園を越えたところで解散となった。

左に行くと近鉄河内国分駅、右の橋を渡るとJR大和路線高井田駅に至る。

その後JR組は高井田横穴公園・柏原市立歴史資料館を見学し(ここも無料)、メインの高井田山古墳を見て帰った。

お疲れさまでした。

 

 

龍田古道について

https://youtu.be/HkaqiAkqigI

最古の官道は龍田道とのこと!

 

平隆寺跡

大和に入り、三郷町の北東の勢野地区は平群氏が治める平群谷の南端にあたります。平群氏が古道と大和川を見下ろす高台に氏寺「平隆寺」を建てたのは、交通の要衝として大和川の水運と共に、龍田古道を意識していたことが分かります。

 

龍田大社/例大祭と風鎮大祭

龍田古道の信仰上の中心となる社です。天武天皇の御世に都の西を司る国家的な風神として祀られました。平安時代の『延喜式』には風神祭の記述が見られ、以降、龍田地域の権威の象徴として交通や水運と大きく関わります。風神祭は今の例大祭と風鎮大祭に繋がっており、祭祀の中に大和川との関わりや龍田山の山岳信仰の名残りがあります。

 

関地蔵

天武天皇の御世に置かれた「龍田の関」を示す地蔵尊です。明治に入り大和川対岸に現在の国道25号線が敷かれるまでは、大阪と奈良の大動脈の通行を管理する場所で、通行料等を徴収していました。

 

青谷遺跡(竹原井頓宮跡)

大和川北岸に設けられた奈良時代の離宮跡です。聖武天皇らが平城宮と難波宮との往来に際して宿泊に利用しました。瓦葺建物、石敷き施設などを確認。対岸に河内国分寺跡があり、景観も意識した立地となっています。

 

夏目の渡し跡

大和川の川幅が最も狭い場所で、両岸を結ぶ渡しがありました。ここで対岸へ渡り人々が往来しました。現在は、スリル満点のつり橋がかかっています。


2023年3月12日(日) 天王山~水無瀬の滝

天候:晴  参加者:4名  CL:Yosm

阪急大山崎駅10:50発。当初は宝積寺から登る予定であったが、山崎聖天を経由する山道に切り替えた。途中、対岸にある男山と木津川の背割りを見通せるところに出たが、間もなく咲くであろう桜の情景を思い浮かべつつ、一行は天王山頂へ。その後、小倉神社へと向かう道を進み、サントリー山で昼食をとる。午後は分岐から小倉山、十方山と次々、登頂。一行は1日に4座も制覇した。下山口手前に展望の効く岩場があり、そこでコーヒータイム。名神高速道路脇を降りて水無瀬の滝へ、糸を引くような繊細ないい滝である。14:50に大山崎駅着。ゆっくり4時間の山旅であった。お彼岸前なのに気温は25度のポカポカで、花粉もばっちりであった。帰宅後の鼻水や目痒がコワい!


2023年2月26日(日) 雄岡山・雌岡山

天候:曇時々晴  参加者:3名  CL:Yosm

神鉄緑ヶ丘駅を11:05に経ち、住宅街を抜けると、すぐ雄岡山の登山口があった。ゆるい傾斜をゆっくりと登って11:20に登頂。駅から僅か15分である。頂上からは明石海峡(大橋)も見えた。下山後車道を進んで池を2つ越え雌丘山へ。ここも登山道は緩やかで、頂上近くに梅林があり、紅梅と白梅がかなりの本数植えられ花も5分ほど咲いていた。肥やしに牛糞を撒いているらしく梅の香りも台無しの感あり。なお今年は寒くて開花が遅れているらしい。梅林の上手は臭いからも解放され、眺望もよいので、ここで昼食とする。すぐに電波塔があり、その少し上に神出神社があって、ここが雌岡山の頂上である。雄岡山より8m高くてノミの夫婦であり、眺望もこちらの方が良い。明石海峡の先の淡路島、その奥には紀伊半島の山脈も見える。下山後、楽農センター農産品販売所に立ち寄り、自転車道をゆっくり歩いて、14:47に緑ヶ丘駅着。のんびりゆっくりの低山旅であった。


2023年2月5日(日)六甲全山縦走④ 摩耶山~極楽茶屋

天候:晴 参加者3名 CL:Yos.M

阪急王子公園駅で集合し、上野道を登って摩耶山へ。昭和51年の火災で焼失した旧摩耶山天上寺の旧参道には立派な石段と火災を免れた山門が残り、伽藍跡は史跡公園になって往時を偲ばせる。掬星台からの景色を楽しんだ後、愈々目的の全山縦走路に入るが、天上寺跡から摩耶山一帯は非常に冷えており、あちこちが凍っていて滑る滑る。Cl.は、オテル・ド・摩耶付近で転んでしまい、尾骶骨をしたたかに打った。痛っ。アゴニー坂の下りも岩に氷が張り付き、ストックを突きながら慎重に下ったので、予想外に時間がかかってしまった。舗装路と山道をかわるがわるに進んで、やっと凌雲台に着いたのが13時過ぎ。ここで遅めの昼食とするが、このガーデンテラス日向のあったかいこと。昼寝をしたいような気分になった。13時40分に歩行を再開してまもなく六甲無線中継所に着く。ここから北斜面となり厳冬期は凍り付くので、アイゼンを履く。ガーデンテラスから幾らも離れていないのに、その気温差には驚くばかり。極楽茶屋から紅葉谷道を下り、暫くしてアイゼンを脱ぐが、やはりまた転んでしまった。もっと雪が多ければ、アイゼンを履いたまま行けたのだけど‥、着脱の判断が難しい。七曲滝付近で氷瀑観察に気が動いたが、時間も遅く、体力の問題もあったので、今回は見送りとした。全通となった紅葉谷道終点のロープウェイ駅を経て、有馬温泉で16時過ぎに解散。

 


2023年1月22日(日)鳴川峠から柏原水仙郷

天気:晴れ

参加者:5人(一般参加1人)

CL:Oz

今年初めての山行は大阪にもある水仙郷へ。淡路島や越前が有名だが柏原にもあると新聞で見つけせっかく行くなら山登りを兼ねようと計画した。一般参加の方も含め久しぶりの5人とは当会では大人数。まず瓢箪山稲荷神社で本日の安全を祈り出発(8:51)。住宅地を緩く登る。寒波襲来前と思えない晴天。風も無い。時折眼下の大阪市内を眺め登山口に到着。山に入っても他のハイカーには会わず静か。お正月の鈍った身体にちょうどいい登りが心地好い。鳴川峠に10:25到着。十三峠まではまだまだ長い。しばらく歩くと展望台があった(11:08)。本日一番の眺望。CLはお昼ごはんの場所を決めておらず悩みながら歩いた。十三峠から高安までの間でちょうどいい場所があったので皆の意見も纏まり昼食を摂った。お腹も満たし高安へ。高安駅よりケーブルで下山できるので体調を尋ねると皆元気とのことで先を急ぐ(13:03)。登山道から一般道に変わり車に気をつけながら歩く途中眼下に八尾空港と遠くは明石まで見渡テンションが一気に上がった。ガードレールの切れ目に高尾山への案内があったので従って少し歩くと山頂(14:21)。どの道で下山するのかわからなかったので他のハイカーさんに尋ね無事本日の最終目的地の柏原水仙郷に到着した(14:44)。水仙は満開で優しい香りに癒された。そしてヌデヒコヌデヒメ神社に降り(15:37)近鉄堅下駅で15:49解散した。本日の歩行距離14.9キロ。歩行時間7時間4分(休憩1時間44分)お疲れさまでした。


2023年1月14日(土) 奈良県 大和三山【初詣ハイク】

雨天のため中止となりました。


2022年12月25日(日) 大阪府/奈良県 信貴山~龍田山巡り

参加者:5人 コースリーダー:吉川 天候:晴れ時々くもり

近鉄線信貴山口駅に9時22分到着し、始発の9時30分発ケーブルに乗る。虎を売り物にしてるだけにケーブルカーの側面や座席も虎のデザインだ。高安山駅には9時37分着でトイレと準備体操を済ませコース説明の後駅の脇から歩き始める。最初に目指す高安山(487m)には10時10分に到着する。このあたりは7世紀に「白村江の戦い」に敗れた大和朝廷が唐・新羅に対する防衛のため築いた古代山城・高安城(たかやすのき)があった。少し道を外れると倉庫跡が1号地から6号地まで残っている。道に戻り進むと分岐がありそこを少し下って弁財天の滝を見に行く。(10:50)行場の滝と大きな一枚岩をなめるように流れる滝である。

分岐まで戻り道を登っていくと左側に開けた場所がありこれが松永屋敷跡である。家臣も含めかなりの広範囲に亘ると思われた。

その先に奈良側の眺望がいいところがあり、このあたりから朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)の境内のようで、鳥居の石段を上ると信貴山縁起絵巻(飛倉の巻)で空鉢を飛ばしたという空鉢護法堂(信貴山山頂437m)である。お参りをすませて鳥居の階段を降りていく。(11:50)行者堂、玉蔵院の総丈14.54mに及ぶ大地蔵菩薩、命蓮塚は信貴山を中興した高僧命蓮上人の墓を巡りメンバーおすすめの開山堂を参拝する。

中に入ると大きな木彫りの大樹に四面22体づつの四国八十八ヶ所ご本尊さまをお祀りしてある圧巻のお堂であった。お砂踏みをしながら堂内を一周して水に蝋燭を浮かべてお参りをした。

信貴山といえば虎、虎の前で記念撮影して最後に本堂にお参りをした。(12:40)

仁王門を出た先の「アベノ日本一 平群店」で食事となる。(12:50-13:35)。

午後は道歩き。開運バンジー橋に続いてとっくり吊橋をわたり大狛神社(14:00)に寄り御座峰を通る。このあたりが龍田山伝承地と言われ竜田古道も通っている。景色もなかなかいい。ここから下っていくが途中道が荒れていて引っ付き虫にやられてしまう。

亀の瀬地すべり資料室は残念ながら閉まっていたが、河原の亀岩(亀石)を見物した(15:45)。古来地滑りが何度も起こる場所で地滑りにより大岩が大和川に落ち込み天然の景観を作り出している。

万葉の道行く人の目も慰めた場所のようだ。

大和川沿いにくだり16時河内堅上駅で解散となった。

寅年の最後を飾るハイクで1年の感謝の気持ちを新たにした。

おつかれ山でした。

来年もたくさん元気で無事に山に来れますように。


2022年12月17日(日)二上山  晴  参加者3名 コースリーダー:M.Yos

朝8時に阿部野橋集合であったが、一般参加の希望があったにも関わらず、案内表記の不行届きに加え、折悪しく携帯電話がうまく繋がらずに、参加希望者が来ないと軽信したCLが予定の電車に乗り込んだため、合流できずに置き去りにしてしまう事態が生じた。誠に申し訳なく思い、お詫びすると共に、今後は初めての方でも迷わずに合流できるよう、案内表記にミスや誤解が生じないよう心掛けようと思う。

さて山行記。当麻寺駅に着いた一行は、町を抜けて寺内敷地で準備体操をした後、登山道に入り山口神社を経て祐泉寺へ。途中で二上山凝灰岩を使った石槨のある鳥谷口古墳を経て、岩屋峠に出た。ここからつづら折れの坂を登り、10時半ごろに雌岳登頂。好天に恵まれ視界は良好で、遠く明石大橋まで見渡せる。片や葛城山から金剛山は雪をかぶり今年一番の冷え込みを感じる。山頂付近の気温は1度、寒風が吹き長居はできない。次に目指すは雄岳。途中でモミジの山友に出会い久しぶりの邂逅に懐かしさもにじむ。雄岳の山頂は展望がないが、ここからすぐ先に大津皇子の陵墓がある。姉の大伯皇女は「うつそみの人なる我は明日よりは二上山を弟背と我が見む」と謳ったが、我々も悲劇の皇子の魂魄安らかならんと祈りを捧げて墓前から退去した。下山道途中の見晴らしの良いところで昼食とするが、とにかく寒風がきつく、手が悴んで袋を開けるのももどかしい。早々に切り上げて、今日の課題である二上山凝灰岩に因むスポットへ移動。はじめは岩屋石窟。ここは8~9世紀の石窟寺院跡であるが、小規模で形も崩れているが削り出した塔や荘厳台が残っている。中将姫がここで當麻曼荼羅を織り上げたという伝説もあり、古の僧尼らはここで修行に励んだのであろう。傍らにある岩屋杉の倒木が往時を偲ばせる。次に向かったのは石切場。ここで切り出された石は高松塚や牽牛子塚などの古墳石槨として使われるべく各地へ運び出されたようだ。石切場から下山道を進み、一旦竹ノ内街道脇の駐車場に出て、すぐ脇にある道を登り返して暫く行くと鹿谷寺跡に出た。8世紀の寺院跡であるが、目を引くのは大岩から削り出された十三重の石塔である。地面から生えているように見えるが、20mもの深さで岩を掘り削り出したものらしい。厨子のような屈部分には三尊の線刻仏も残っている。岩屋も鹿谷寺跡ももとは石切場だったところを転用したものらしい。鹿谷寺跡から岩稜を登ってゆくと展望台へ出た。ここからは二上山も眼下の景色も綺麗に見える。行きは良い良い帰りは恐い、急峻で崖のような下山道を下り、竹ノ内街道へ出て太子町で解散。その後、有志は近つ飛鳥博物館にゆき、鹿谷寺石塔の復刻版を見て、その大きさと岩石掘削の偉業に改めて感服した。


2022年12月4日(日)滋賀県 八王子山ー比叡山横川 横川行者道を歩く

参加者:2人 コースリーダー:吉川
JR湖西線比叡山坂本駅に9時に集合してまずは日吉大社を目指す。坂本は穴太衆の本拠地だけあり穴太積みの石垣がそこここにある。300円也の拝観料を払って日吉大社の東本宮(二ノ宮)を参拝する。境内から北に階段と坂道を超えて行くと左右に懸け造りの社殿がありこれが牛尾宮と三宮宮だ。その間の階段を抜けてさらに登ると金大巌(こがねのおおいわ)と呼ばれる巨石の磐座があり眺望は良好である。その少し上、八王寺山(牛尾山、381m)には10時20分頃に到着した。日吉大社東本宮の神体山として古くより信仰されてきて、頂上付近は祭事するような結界がしてあった。ここから少し下って横川行者道を行くと数頭の鹿が逃げていくのが見えた。

奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の 声聞く時ぞ秋は悲しき 猿丸大夫

 

途中三石岳(675m)への分岐がわかりにくくて戻る感じで到達した。
その先には往生要集で有名な恵心僧都(源信)墓所があり周りにはたくさんの五輪塔や石仏があった。比叡山焼き討ちの供養塔であろうか。ほどなく比叡山境内横川に入り元三大師(がんざんだいし)堂(魔除けの角大師やおみくじの元祖)、横川中堂をめぐり12時40分頃にベンチで食事し大宮川沿いに下る。地道の林道で途中の川原に降りてコーヒータイムとした。さらに下ると山に登る細い道の上に頑丈そうなコンクリート製のアーチがある。その先には石積みの道がありどうも昔の参拝道のようだが、詳細はわからずであった。衣掛岩も横を通ったがよくわからず、比叡山高校の横の階段に出た。早尾地蔵尊と日吉大社の表鳥居に無事の山行のお礼をし、観光案内所で来た道の復習をし朝と同じJR湖西線比叡山坂本駅に15時40分頃到着した。
お疲れ山でした。


2022年11月27日(日)妙見山4座

参加者3人 天気晴れ CL:Oz

2週間連続雨で中止になったため久しぶりの山登りです。妙見口駅に集合し出発。住宅地を通り登山口に向かった。お日さまに当たり紅葉が美しい。かなり前に登ったことがあるCL以外は初めてのコースらしい。青貝山の登山口から本格的な山道となる。青貝山山頂は少し広く木々の間から里の景色が楽しめた。4座縦走なのでアップダウンを繰り返し天台山到着したが眺望は無し。しばらく進むと道が分かれていたのでYAMAPで確認するとコースから離れた。本当は山頂から少し戻るのが正解。そろそろ空腹を感じたが光明山まで頑張った。山頂にはマウンテンバイクに乗った方がいらした。少しお話したところ自転車は軽自動車並みのお値段らしい。お昼からは最後の妙見山に向かいました。お寺にはいつもたくさんの参詣者。山ではハイカーには余り会わなかったのに。下山はリフトとケーブルで下りました。意外と楽しかったです。そのため早く下山したので吉川八幡神社に立ち寄り妙見口駅前で軽く打ち上げをしました。たまにはのんびり山登りも良かったです。


・2022年11月13日 星田連山、20日 六甲全山縦走第4回 は天候不順のため中止となりました。

 また機会を作り催行予定です。