山に登り、里を歩くすべての人に・・・



日本勤労者山岳連盟(略称労山)について

労山は1960年、「勤労者山岳会」の名称で創設され、1963年には日本勤労者山岳連盟へと発展し、現在では全国に650団体、2万5千人の会員が入会しています。

労山の考え方は、

(1)登山は優れたスポーツ文化であり、憲法で保証された国民の権利である。

(2)登山の多様な発展を目指す

(3)海外登山の普及と発展をはかる

(4)遭難事故の防止につとめる

(5)限りある自然を守り、後世に残す。

の5つからなり、そのひとつひとつのとりくみは日本の登山活動にとって重要な活動になっています。

 

大阪府勤労者山岳連盟(略称大阪労山)について

大阪労山は大阪府下の40以上の山岳会から構成されており現在会員総数は1200名を越えています。

大阪労山はほかの他府県勤労者山岳連盟とともに、上部団体日本勤労者山岳連盟を構成しています。

 

労山山岳事故対策基金(略称労山基金)

日本勤労者山岳連盟(労山)は、遭難対策事業の一環として、「労山基金」を設定しています。 所属会員が山行中の事故により多大な経済的負担を被ったとき、会員相互の互助精神に基づいて、その負担を軽減し、併せて働くものの立場に立った正しい登山の発展に資することを目的としています。労山会員の寄付金で運営される遭難対策のための互助制度で、会員のための山岳遭難救済制度です。救助・捜索やケガ、急病などの登山中の事故を救済対象とします。 労山基金は労山の会員であれば、誰でもいつでも加入できます。

<内容>

1口 年間1,000

■死亡・傷害に寄付金登録申込額の200倍まで交付

■救助・捜索に寄付金登録申込額の300倍まで交付(加入初年度)

(加入2年目から、継続1年ごとに10倍が加算され、最高400倍まで交付されます。)

 

 

労山シンボルマーク

2つの三角形を組み合わせた労山マークは労山の理念を表現しています。白い三角形は高く険しい山を表し、紺色の三角形は緑におおわれた低いなだらかな山を表しています。

登山には広い裾野が不可欠でありハイキング分野も重要との考えから考案されました。 

 

 


会の沿革

 当会は初代会長の故畠井修氏が大阪勤労者山岳連盟所属の中高年ハイキングクラブにて、金沢喜八郎氏と石垣照士氏の知己を得て新たに1996年7月当初4人のメンバーで立ち上げた。名前は春に先駆けて咲く辛夷の花と、古武士を兼ねて名付けた。その後京橋駅近くに山の店「青穂山荘」にも関係した(現在は閉店)。海外エヴェレスト登山の経験もある初代会長の教えを守り、現在も大阪勤労者山岳連盟に所属し、日帰り登山や町歩きや宿泊登山を行っている。


なにわこぶしの会 初代会長の言葉

 

私小生アルプスに初めて此の世に別世界があるのを見て、山がよいが始まったのが若年20才である。

それからは厳冬期の剣、立山を、また春には自然の営みに目をみはり、自然の中に居る自分を楽しみ、夏山で大勢の登山者が訪れる中でいろいろと救出劇にも出会い、自然のもたらす力の大きさにくらべ人間の小さな力を目のあたりに見る。

最近の登山者の多くはガイドブックなどで観光化された山々に、自己のトレーニングも体力装備の考え方も無くして歩き登られる姿をよく見掛け、心痛い思いがしてならない。

小生も199427日雪化山中でホワイトアウトの中、女性2人と避難行動により計画ルートをはずれて下山。雪の中での5日間ビバーグ脱出して、連盟の方々の救助活動及び世間の方々に多大の心配を掛け、何か機会が有れば登山界の皆様に役立ちたいと思っている。

 

なにわこぶしの会 初代会長 畠井修

 

初代会長が常々言われていた言葉

 

山というのは、ただで登っていられるものでは無い。その陰では登山道の整備や遭難者の救助活動に尽力している人や団体があり、お金も手間も掛かっているのだ。

 

三田鎌倉峡に訓練用の櫓を施工したありし日の初代会長